ステートメント
私はアーティスト・演出家として、環境や素材との「交応(correspondence)」と、親しいものが抑圧された状態で回帰する「不気味(unheimlich)」の概念を踏まえて、身体の物質としての側面が際立つ状況に着目している。自律神経、死、睡眠、介助、人形などを主題としたパフォーマンス、インスタレーション、ワークショップなどの芸術実践を展開し、物質的に前景化された身体を通して、生の複層性の回復を試みる。
制作活動の背景として、人形劇役者の父の舞台を繰り返し観劇した幼少期、自律神経失調症による不登校、学士過程での工芸技術修得、兄弟の死といった経験がある。これらはいずれも身体の物質性を強く感じさせ、同時に異なる位相の世界との境界を揺さぶる契機となった。
大気や生体的リズムの影響を心身に受ける自律神経失調症や、近親者の死が身体の物質性を強調して不気味(unheimlich)な印象を想起させることは言うまでもないが、人形劇や工芸技法においても、身体の物質的前景化が生じる。
人形劇において、劇中の人形はまるで主体的な振る舞いをするように見える一方で、役者は人形を支え動きを補う役割を与えられる。演劇史家のへリンク・ユルコフスキ(Henryk Jurkowski, 1927 - 2016)によると、人形は語り演じる物体として、その物体を超えて存在する(役者の)音声や動力といった肉体的源泉を一時的に利用している。
また、日本の伝統金工技法である「絞り」では、銅板を繰り返し槌で叩いてひずみを生じさせることで形を作る。素材の反応をつぶさに観察して行為することは、行為者による素材の操作だけでなく、素材や環境に応じて身体が動かされるということだ。この主客の分離を超えた双方向的な関係は、ティム・インゴルド(Tim Ingold, 1948 -)が交応(correspondence)の語で表している。
私はその芸術実践において、身体の物質的前景化を通して、自律/随意運動、生/死、生物/無生物、演者/観客、公/私といった対立を連続化し、存在の位相の異なる身体と交わるための「通路」となる上演空間を立ち上げる。念頭にあるのは、自律神経失調、近親者の遺体、人形を操演する父といった不気味(unheimlich)な身体と、人形操演や工芸制作、リハビリ運動にみられる環境や他者と交応(correspond)する身体だ。それは、上演芸術と、近代的制度によって分節化された日常生活、それぞれで物質的に異化された身体を結び、複層的に語り直す試みである。
先行する試みとして、アントナン・アルトー(Antonin Artaud, 1896 - 1948)の理論、ピーター・ブルック(Peter Brook, 1925 - 2022)、マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović, 1946 -)、土方巽(1928 - 1986)らの実践を挙げることができるだろう。権力による身体の受動的客体化に抵抗し、身体をオブジェクトとして開いて異化すること、そうして先にあげた対立を連続化する彼らの試みに、私は賛同する。一方、先行する表現で際立つのはアーティストや演者が“身体を張る”状況であり、それは行為者を神秘化し、特権を補強する。
私は、行為者が肉体を酷使する方法ではなく、ささやかで脆弱で集合的な実践によって日常性との接続を図る。演者や観客に投げかける単純なインストラクションは日常行為に隣接しており、舞台経験のない演者との協働により、ワークショップの延長のような行為や制作のプロセスが上演となる。
私の芸術実践は、身体の物質的前景化を通路として、芸術と生活のそれぞれで異化された身体を結び、複数のナラティブと共に語り直すものだ。そうして、身体の平面的分節化とアイデンティティの消費的記号化に日常の内側から抵抗し、生の複層性の回復を目指す。

2026 藤中康輝


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